赤羽末吉・中国とモンゴルの大地

期 間 2016年11月9日(水)~2017年1月15日(日)
主 催 ちひろ美術館
後 援 絵本学会、(公社)全国学校図書館協議会、(一社)日本国際児童図書評議会、日本児童図書出版協会、(公社)日本図書館協会、杉並区教育委員会、中野区、西東京市教育委員会、練馬区
協 力 岩波書店、福音館書店、ポプラ社
「日本の子どもにもあの壮大な景を見せたい。」赤羽末吉
情熱的な絵本づくりで日本の絵本史に残る傑作を数多く発表し、日本人として初めて国際アンデルセン賞画家賞を受賞した赤羽末吉。本展では、赤羽の幅広い絵本の仕事のなかから、『スーホの白い馬』『ほしになったりゅうのきば』『あかりの花』など、中国やモンゴルの大地を舞台とした絵本の数々を、多くの資料とともに紹介します。

赤羽は1932年に旧満州(中国東北部)に渡り、以来15年間を彼の地で暮らしました。中国大陸の風土や文化に魅せられて絵筆をとり、次第に画家として高い評価を得るようになります。
50歳で絵本画家として活躍をはじめた赤羽は、戦後再発見した日本の風土の美しさとともに、大陸の風土の壮大なスケールを、絵本を通して子どもたちに見せたいと願うようになります。一冊ごとに物語の視覚的な演出に創意工夫を凝らし、舞台となる風土の研究に取り組んだ赤羽が、中国やモンゴルの風土や文化、人々の生活をどのようにとらえ、絵本に表現したかを探ります。
内蒙古 阿巴嘎(アパガ)大王府 赤羽末吉撮影 1943年

中国大陸に魅せられて

22歳で旧満州に渡った赤羽末吉は、運送業の手伝いから身を起こし、満州電信電話株式会社に勤めるようになります。そのかたわら影絵人形芝居や土俗人形などの中国の伝統文化に魅せられて、研究・紹介に取り組み、一方で絵も描き続けて、満州国国展で特選賞を受賞するなど画壇で活躍するようになりました。
承徳 瑠璃塔 1940年頃

絵本『スーホの白い馬』の誕生

1943年、満洲国政府の委嘱によるチンギスハン廟の壁画制作のため内蒙古(内モンゴル自治区)に取材に出かけた赤羽は、戦後、日本への引き揚げ時に、このときのスケッチや写真を荷物に忍ばせ持ち帰りました。
赤羽はあの壮大な大地を子どもたちに見せたいと、1961年、2冊目の絵本としてモンゴル民話『スーホのしろいうま』を手がけます。さらに1967年には、版型を大きくした48ページの絵本『スーホの白い馬』を発表しました。赤羽の念願をかけたこの絵本は、名作絵本として今も読み継がれています。
内蒙古 モンゴルの青年 1943年
『スーホのしろいうま』 こどものとも67号(福音館書店)表紙 1961年 『スーホの白い馬』(福音館書店)より 1967年

中国の民話の絵本

赤羽は日本の民話とともに、『王さまと九人のきょうだい』『チワンのにしき』『ほしになったりゅうのきば』など中国の民話の絵本も数多く手がけています。物語を視覚化するために徹底して資料を調べ、舞台や衣装を考え、演出に創意工夫を凝らしました。1985年に苗(ミャオ)族の民話『あかりの花』を描いたときには、現地まで取材に出かけています。
『王さまと九人のきょうだい』(岩波書店)より 1969年
『あかりの花』(福音館書店)より 1985年 『ほしになったりゅうのきば』(福音館書店)より 1976年
赤羽末吉 (1910-1990)

あべ弘士

1910年、東京・神田に生まれる。1年ほど日本画を学び、以後独学。
1932年旧満州(中国東北部)に渡り、電信電話会社などの仕事のかたわら、満州国国展などに出品。1947年帰国。1948年から52年までGHQの民間情報教育局(CIE)に勤務の後、69年までアメリカ大使館に勤務。1961年、50歳のときに絵本の処女作『かさじぞう』を出版。国際アンデルセン賞画家賞(1980 年)をはじめ、国内外の受賞多数。

「赤羽末吉 中国とモンゴルの大地」関連イベント

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ギャラリートーク

  • 毎月第1・3 土曜日 14:00~
  • 11/19、12/3、12/17、1/7



松本猛ギャラリートーク

  • 12/4(日)14:00~
  • 講師:松本猛(絵本学会会長・ちひろ美術館常任顧問)



赤羽茂乃講演会「赤羽末吉の見た中国大陸」

  • 戦中から戦後にかけての15 年間を旧満州(中国東北部)で暮した赤羽末吉。赤羽茂乃氏が、
    赤羽の足跡や中国の文化について語ります。
  • 日時:11/26(土)16:00~18:00
  • 講師:赤羽茂乃(赤羽末吉の三男の妻)
  • 定員:60 名
  • 参加費:700 円
  • *要申し込み 10/26(水)受付開始



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