| 1918 |
12月15日、福井県武生市で生まれ、翌年東京に移る。 |
| 1931(12歳) |
| 東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)に入学。 |
満州事変 |
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| 1933(14) |
岡田三郎助に師事、デッサン・油絵の勉強を始める。 |
| 1936(17) |
| 第六高女を卒業。朱葉会女子洋画展に入選 |
2.26事件 |
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| 1937(18) |
| 小田周洋に師事、藤原行成流の書を習い始める。 |
日中全面戦争開始 |
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| 1939(20) |
| 婿養子を迎え結婚、満州(現・中国)へ渡る。 |
第二次世界大戦勃発 |
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| 1940(21) |
夫の自殺により帰国。 |
| 1942(23) |
中谷泰に師事、再び油絵を描き始める。 |
| 1944(25) |
4月、満州勃利女子開拓団に同行し満州へ渡る。夏、戦況悪化のため帰国。 |
| 1945(26) |
| 5月、空襲で家を焼かれ母の実家(長野県松本市)に疎開。 |
日本降伏・第二次世界大戦終結 |
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| 1946(27) |
長野県で日本共産党に入党。
春、上京し人民新聞の記者となる。日本共産党宣伝部・芸術学校に入学。
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| 1947(28) |
前衛美術会創立に参加。日本美術会、日本童画会のメンバーになる。 |
| 1949(30) |
紙芝居「お母さんの話」を描き、翌年文部大臣賞受賞。 |
| 1950(31) |
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| 1951(32) |
長男・猛誕生 |
| 1952(33) |
東京・練馬区下石神井に家を建てる(現・ちひろ美術館・東京所在地) |
| 1956(37) |
小学館児童文化賞受賞。絵本『ひとりでできるよ』を描く。 |
| 1960(41) |
『あいうえおのほん』を描き、翌年サンケイ児童出版文化賞受賞。 |
| 1963(44) |
雑誌「こどものしあわせ」の表紙を描き始める(~1974年)
世界婦人会議参加のため、ソビエトを訪問。 |
| 1964(45) |
安泰、滝平二郎、箕田源二郎らと「童画ぐるーぷ車」を結成。 |
| 1966(47) |
ヨーロッパを旅行。帰国後アンデルセンの『絵のない絵本』を描く。
長野県黒姫にアトリエを兼ねた山荘を建てる。 |
| 1967(48) |
『わたしがちいさかったときに』を描く。夫・善明が衆議院議員となる。 |
| 1968(49) |
『あめのひのおるすばん』を描き、初めて文章も手がける。 |
| 1971(52) |
『ことりのくるひ』を描き、翌々年ボローニャ国際児童展グラフィック賞受賞。 |
| 1973(54) |
『戦火のなかの子どもたち』を描く。
(翌年ちひろの没後、ライプツィヒ国際書籍展銅賞を受賞)
秋、原発性肝ガンのため入院。小康を得て退院。 |
| 1974(55) |
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