ちひろの言葉

家族

一日のうちのたいてい二回、私のこころにちょっとした温いしあわせな気持がよぎる。

コツコツと、小さな足音と、大きな足音が、それぞれ私の仕事場の前をとおって玄関にむかうときだ。机にむかっている私は、いそいそと立ちあがり玄関のドアーをあける。第一回目はおひる少し過ぎ、小さい足音の小学一年生、一人息子のおかえりだ。そのひとえのつぶらな瞳が、やっとわが家に安着だ。

第二回目の大きな足音は主人だが、それは時間がきまっていない。夕食をすませ、子供を寝かせ、まずは机にむかって待っている。仕事をしているような、していないような、不安定な不思議な気持。そして一日のおわりに近く、そのなつかしい大きなコツコツが、私の耳にきこえてくる。

「婦人民主新聞」1958年9月28日より


「あなたのお子さん、もう学校でしょ」
「どうしてわかる?」
「新聞の広告にでている絵で」

わたしは無意識だったけれど、制約のないイラストをたのまれると、その中にいつも自分の子どもを描いていました。はじめは小さな赤ちゃんを、そして幼児、いつのまにかランドセルを背負った子を描いたんだと思います。私の子どものことを知らない友だちでも、ああ幼稚園にいきだしたな、ハモニカが吹けるようになったな、自転車にのってるな、とみんなわかってしまったそうです。でもひとつ、きっと男の子なんだか女の子なんだかわからなかったと思います。私は自分の子の形はかりましたけれど、かってに女の子に姿を変えたりして描きましたから。「あなたはきっとかわいい女のお子さんをおもちなのでしょう」という手紙までもらいました。
その息子も十七歳になりました。もう、童画の材料にはならないけれど、私はふしぎなことに、若い人のためのおとなの絵本を描きはじめています。


「わたしのえほん」(みどり書房)1969年より

私なんか、独身だったら気楽で、絵もバンバン描けるだろうと考えられるけど、とんでもないですよ。

夫がいて子どもがいて、私と主人の両方の母がいて、ごちゃごちゃのなかで私が胃の具合が悪くなって仕事をしていても、人間の感覚のバランスがとれているんです。そのなかで絵が生まれる。大事な人間関係を切っていくなかでは、特に子どもの絵は描けないんじゃないかと思います。

「教育評論」(日本教職員組合)1972年11月号より