ちひろ没後40年
ちひろの愛した アンデルセンと宮沢賢治

期 間 2014年5月16日(金)~7月22日(火)
場 所 展示室1,2
協 力 宮沢賢治記念館・林風舎
時代を超えて語り継がれる童話をつむぎ出したアンデルセン(1805~1875)と宮沢賢治(1896~1933)。多くの画家たちが彼らの童話を作品に描いていますが、いわさきちひろもまた、画家として、人として、二人の作家に大きな影響を受けた一人でした。本展では、画家ちひろにとって重要な存在である二人に焦点をあて、その世界観をちひろがどのように昇華し、形にしていったかを探ります。

宮沢賢治

終戦の翌日の1945年8月16日から約1ヶ月にわたり、ちひろは「草穂(くさほ)」と題した日記に、スケッチや心に去来することを書き留めていました。8月18日、「宮沢賢治」の名前が登場し、「いまは熱病のようになってしまった」と記しています。日本が戦争へと進むなか、ちひろは賢治の童話や詩に出会いました。敗戦後、世の中の価値観が一変するなかで、自らの歩む方向を必死で模索していたちひろは、岩手の自然を源に豊かな感性でつむぎ出される賢治の作品世界や、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という純粋な思想に感銘し、一層心酔していきました。人々のために尽くした賢治の存在は、ちひろのその後の生き方にも大きな影響を与えています。
24年後の1969年、草花や木を主人公とした6編を収めた『花の童話集』で、賢治の童話を手がけたちひろは、この絵本を「わたしの宮沢賢治解釈」と語っていました。賢治が愛した岩手の自然を、ちひろは、アトリエを兼ねて建てた山荘があった信州・黒姫の自然なかに見出しました。小さな生命を慈しみ、対話する賢治のまなざしに自らのまなざしを重ね、自然の持つ本質的な美しさを作品のなかに描き出しています。

ひなげし『花の童話集』(童心社)より1969年

アンデルセン

終戦の翌年、画家を目指して単身上京したちひろは、アンデルセンの「お母さんの話」を紙芝居に描く仕事をきっかけに、画家として立つことを決意しました。以後、毎年のように描き続けるなかで、「アンデルセンの童話のもっている夢が、たいへんリアルであるということが、現代のわたしたちの心にもつうじる」と語っています。人間の心のひだを丁寧に辿り、普遍的な悲しみを美しく描き出した童話に、ちひろは深く共感していました。 
人間の王子に恋をした人魚の少女の悲恋の物語「人魚姫」。姉たちから、王子の命を奪えば人魚の世界に戻れると告げられた人魚姫が、ナイフを手に王子の寝室に入る場面を、ちひろは何度か描いています。1960年の紙芝居では、眉を寄せて煩悶する人魚姫の表情を描きました。一方、1967年の絵本では、人魚姫を後ろ姿で描き、王子の顔もカーテンで隠していることがわかります。二人の表情を描かないことで、見る人の想像力を喚起する表現へと変化しています。「なんかいかいても、なお工夫するたのしさを、わたしはいまだに失わないでいる」と語っていたちひろ。説明的な描写を抑えることで、読むたびに新たな解釈が生まれるアンデルセン童話の魅力を、表現していったことがうかがえます。
二人の作家の作品を通して、ちひろが結実させていった表現の数々をご覧ください。

王子の寝台に近づく人魚姫『七色の珠玉選 人魚姫』(童心社)より1960年 王子の寝台に近づく人魚姫『にんぎょひめ』偕成社より1967年
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