〈香月泰男生誕100年記念〉
ちひろと香月 ―母のまなざし、父のまなざし―

期間 2011年9月16日(金)~11月30日(水)
場所 展示室1
後援 長野県教育委員会、松川村教育委員会、信濃毎日新聞社、講談社
協力 香月家、香月泰男美術館、山口県立美術館
いわさきちひろと香月泰男は、生涯会うことはなかったものの、ほぼ同じ時代を生きた画家でした。本展では、それぞれの戦争体験を経て命を見つめ続けた二人の作品を「母のまなざし・父のまなざし」「戦争」「小さきものへのまなざし」「家族への想い」の4つの観点から紹介します。
いわさきちひろ 水仙のある母子像 1972年 香月泰男 父と子 1969年(個人蔵)

香月泰男 父のまなざし

1911年、山口県の三隅町(現・長門市)に生まれた香月泰男は幼いころから絵を描くことが好きな子でした。両親が離別したために、医者であった厳しい祖父母に育てられ、孤独な子ども時代を過ごしたといいます。東京美術学校の油画科を卒業後、北海道、そして山口の学校で美術教師として働きながら、絵を描き続けます。1938年に結婚、翌年長男が産まれると、その秋には文展*で特選を受賞します。画家として、父親として、まさにこれからという1942年の末、香月に召集令状が届きました。山口市に配属された後、当時の満州内陸部(現在の中国内モンゴル自治区)ハイラルに配属されます。この地で2年間の兵隊生活を余儀なくされた香月は、ほぼ毎日、家族へ絵を描いたハガキを送ります。そこには、3人の子どもを持つ父親のまなざしがありました。
香月泰男 軍事郵便はがき(複製)第48信 1943年6月(香月泰男美術館蔵)
* 文部省美術展覧会の略称。

いわさきちひろ 母のまなざし

1950年に結婚したちひろに、翌年長男・猛が生まれます。東京の狭い貸間で画業と育児に苦心する娘を見かねた親の申し出に、ちひろは幼子を信州に預けます。そして、画料が貯まると片道9時間近くかけて最愛の我が子に会いに行きました。当時のスケッチには、いずれも寝ている猛が描かれていますが、その小さな手の先には生命力が満ちています。1952年に練馬区下石神井に家を建てて家族が一緒に暮らせるようになり、ちひろは一人息子を育てながら、絵を描きました。子どもの成長を肌で感じ、さまざまな月齢の赤ちゃんを描き分けられたのは母ならではのまなざしでした。
いわさきちひろ 長男・猛 1951年7月5日 いわさきちひろ お母さんと湯あがりのあかちゃん 1971年

戦争

2人の画家にとって、戦争は転機でした。
香月はハイラルから移動中に敗戦を知り、旧ソ連の捕虜としてシベリヤに送られます。シベリヤには、戦後日本から約60万、ヨーロッパからも数百万人の軍事捕虜が収容所へ送られ、過酷な状況のもと、多くが帰らぬ人となりました。香月は収容所で2年弱を強制労働で過ごした後、帰国が許されます。シベリヤでの苦しい体験、仲間の死、描いても描ききれないテーマを香月は生涯背負い、そこから目をそらすことはありませんでした。総数57点におよぶ、シベリヤ・シリーズと呼ばれる一連の作品で、香月は厚みのあるマチエールの様式を生み出しました。
ちひろは、戦中には軍属として働いていた両親の庇護のもとにありました。しかし、1945年、空襲で東京・中野の家を焼かれ、戦争の恐ろしさを体感します。約30年後、ベトナム戦争に心を痛め、病を押して完成させた『戦火のなかの子どもたち』の根底には、ちひろ自身の戦争体験がありました。




展示品数 香月泰男 約20点/いわさきちひろ 約40点

香月泰男 涅槃 1960年(山口県立美術館蔵) いわさきちひろ 爆撃機『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店)より 1973年

関連イベント

ギャラリートーク

日程 : 9/24(土)、10/8(土)、10/22(土)、11/12(土)、11/26(土)
時間 : 14:00~
申込 : 参加自由(事前申し込み不要)
料金 : 無料(入館料のみ)


スライドトーク

日程 : 10/15(土)
時間 : 14:00~
申込 : 参加自由(事前申し込み不要)
料金 : 無料(入館料のみ)


松本猛講演「母のまなざし 父のまなざし」

日程 :9/24(土)
時間 : 16:00~17:00
申込 : 事前申し込み必要(ホームページ、電話、FAXにて)
料金 : 無料(入館料のみ)
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